anonyme cahier

四方山事

「悪魔の子」

youtu.be

 気づけば三か月連続で歌みた動画アップしてました。

 

 すみません、今回の動画は保険です。

 配信も一か月休んでいたのですが、今回は親知らずを抜いていました。
 横に生えていたため、歯茎を切開したりと……それよりも歯の根が下顎の神経に触っている可能性があるとのことで、抜くことで顎に痺れが出るかもしれないというリスクがありました。

 なので、アップした動画は顎に支障が出た場合の保険で録音しました。配信のほうで完璧なパフォーマンスをお届けできたらと思っています。

 

 ちなみに、奥に出た親知らずだったので、抜いたところが塞がるときに歯茎が引っ張られて口の開きが狭くなるかもしれないと。なのでリハビリしてくださいとのことでした。

 歯をいじると声が変わるようなことは聞いていたので、そういうのが原因なんだなと少し勉強になりました。

 

 オーディションだなんだと、初めて歌みた動画をアップしてから一年経ちました。よく一年活動を続けられたもんだとも思っています。

 配信とかもその時の気分で突然始めたりということがデフォルトになりつつありますが、それでも聞きに来てくれる方、感謝です。

 多分これからも成長を見守っていただければと思います。

 よろしくお願いします。良いお年を。

Xアカウントを消してみる

 配信での告知通りXアカウントを消去しました。

 配信者だからフォローする、リスナーはフォローしない。これは誰かの作ったルールであり私も他の方も従うかどうかの自由はあります。

 なのですが、「なぜフォロー返してくれないんですか?」と言われたこともあります。

 そもそも、Xの前身であるTwitterでは興味あるアカウントをフォローする、今でもそれは変わらないと思います。

 ですが、私自身、社交辞令でフォローしてないかと。リツイートも社交辞令じゃないのか? 「いいね」ボタンを本当に「いい!」と思って押しているか? 相手に対して不誠実な態度をとっていないか? Xはコミュニケーションツールではないのか?

 

 多くの企業がTwitter時代に参入し、自社商品の宣伝等に使っています。それと似たかたちとして、活動報告に使ってる方もいるのはわかっています。

 認知されるには宣伝が必要です。

 では、SNSがなかった時代はどうしていたのか?

 

 SNSの正しい使い方ってなんでしょう?

 

 前の記事でも触れていますが、周りの活動報告に振り回され、ペースを乱してしまったことがあります。

 また、歌みた動画アップ告知のリポスト、「いいね」を押しても動画を見ないーーポストに反応をすることで自分の宣伝を行う人もいます。

 多くのリアクションを常にいただいてる方はその一つ一つのアカウントに注目してはいません。だから、リポストの少ない人に積極的にリアクションして自分をフォローしてもらったり動画へ誘導を促す。そういった宣伝活動なのです。

 

 第一として、

「文章や日常を通してファンを得たとして歌を聞いてもらえるのか?」

「Xのフォロワー増えたらYouTubeチャンネル登録者も増えるのか?」

「チャンネル登録者はみんな動画を観るのか?」

 

 そして

「内輪だけで盛り上がってないか?」

 

 とまあ、考え出すとキリがないし、自分自身のプロデュースが面倒くさいというのもありXを削除しました。

 身の上に何か起きたとかそういうわけではないのでご安心ください。

 またXの使い方も人それぞれでいいと思います。ただ、私には合わないなあそれだけです。

 この先、絶対Xをやらないってわけでもないです。以上。

「紙一重」

youtu.be

 悶々としながらも収録した曲。
 もう少し気持ちが落ち着いてから収録してもいいじゃないかと思ったけれど、「声が変わるかもしれない」という焦りがあった。

 普段、好き勝手に歌ったり、曲を覚えているけれど、そこに「ボイトレで習う曲」が存在する。
 私は基本がミックスボイスで、地声でほとんど歌わない――というより、地声の音域がものすごく狭いので歌えないのだ。それでもレッスン曲で地声を求められることがあるので、練習していたら少し声が変わったような気がしたのだ。あと、チェンジボイスの位置も変わった気がする。

 今の声で歌うか、変わってからの声で歌うか悩んだ。
 そうでなくても歌い込みが足りてない、聞き込みも足りていない。
 なので、ほぼ勢いで歌ったものだ。

 私は他の歌い手さんや、YouTubeに動画を投稿している人たちの多くがしているような「〇〇回再生達成しました」というSNS投稿をしない。
 なぜならば、動画というより、歌声を保存するために投稿しているからだ。

 イラストや小説も投稿サイトに残しているものがほとんどだ。その元データというのはほとんど手元には残っていない。
 パソコンの突然の死で大半は失われてしまい、投稿したものだけが残っている状態だ。

 自己満足のためならば非公開でもいいのではと思うが、それだと作品として手を抜いてしまう。なので、人に見られるからには最低限――というかんじだ。

 

 私はこの曲より「心得」のほうを配信でよく歌っていた。そこで、たまたまリスナーさんに同じく収録されている「紙一重」もいい曲で、この曲がエンディングの「地獄楽」も面白いと勧められて、最初にアニメから見始めた。
 「心得」も、ドラマ「教場0」で使われている曲であり、私は原作の『教場』を読んでいたので、「心得」の歌詞が胸に突き刺さったし、涙がこみあげてとてもではないがこの曲を歌うのはメンタル的に難しいと思った。

 「紙一重」も同様だ。作品の内容や、キャラクターのどういった部分を歌っているのか想像すると、生半可な気持ちでは歌えない。ファッション感覚では歌えない曲だと思った。

 それでいて、声が変わるかもしれない。その声とこの曲は合うか? 合わないか? というどうなるかわからない、どうしようもない明日を嘆きながらも、曲の良さだけは伝えたいと思って歌った。それでいて、自分の気持ち、解釈で歌いたいと思った。

 表現に声質なんて関係ない。でも、曲に合った歌声は確かに存在する。

 だから、今の声で歌いたかった。

 これは私の声の記録だ。

 これからも声の記録を残していけたら、それだけで幸いだ。

   ※ ※ ※

 ちなみに、MIX師さんにはピッチやリズムは整えすぎないでくださいとお願いしてあるので、「音がずれている」と思ってもそれはMIX師さんの力量の問題ではないです。

 一応、X(旧Twitter)のほうでは、MIX師さん動画師さんと繋がりたい云々というタグをつけて投稿していますが、みんなつけているからなあという感じで、個人的につけなくてもいいかなとも思っているわけで。このMIX師さんや動画師さんにやってもらいたい! と思ったら、相手が依頼を受けている限りはこちらからお願いすることができるわけで。

 なので、あのタグを使ってはいるものの、意味はあるのかなと。ちょっと前々から思っていたことです。

 

蜃気楼

 ――私の歌をみんなに聞いてもらいたい。

 ――自分の歌で誰かを励ましたい。

 

 去年参加したVシンガーオーディションのプロフィールでそんな言葉を見た。

 見て、私は自信があっていいなあと思った。

 別に自信なんてなかったかもしれない。本当に聞いてもらいたくて頑張った人もいるだろう。でも、私には書けない。

 誰かに聞いていただけるほど、聞く時間を割いてもらうほどの歌唱はできないと、今でも思っている。

 ただただ、自分が納得できる歌唱ができるように、それだけを目指している。

 ――それは「現実」だ。

 自分の歌がどの程度のものなのか、「現実」――客観的評価を求めて私はシンガーオーディションを受けた。

 「夢」を見なかった。

 「夢」、「希望」はなんだろう?

 ただ上手くなりたい。自己満足ではなく、客観的にも上手くなりたい。それだけだ。それだけだけれど、贅沢な望みだ。

 周りが、輝こう……輝いている中で「私の歌ってどんなものなんだろう」と考え続けた。今でもだ。

 ――私の歌を私は聞きたいか?

 ――自分の歌で、自分は励まされるか?

 これは自己満足の追求でしかないかもしれない。満足できるまで、私は何度も歌い直すだろう。

 何度も歌い直して、「及第点だろう」と思うものを、歌みたとして残している。歌みたも、誰かに聞いてもらいたいというより、ノイズ処理をした自分の声を聞いたり、そのときの実力を残す記録に近い。

 MIXで残るのは結局のところ、「声」だけだと一年経って気付いた。

 私には聴力がある。なので、MIXされる前の声の様子が大体聞き分けられるようだ。

 でもそこまで声を分析する人は珍しいのだ。普通はただ聞くだけだ。

 そういう意味で「声」しか残らない。それが聞いていて心地よいか、好きなタイプか、それだけだ。

 

 それが「もったいない」と言われた。

 

 正確には「MIXしないほうがいい」。生のほうが良い。音が外れていても良い、リズムが外れていても良い、じゃなきゃ機械的で聞いていて面白くない。

 MIXしてもらうこと、動画を残すこと。それが歌を続けていく上での目標や到達点の一つだと私自身思っていた。でもそうではなかった。

 生の歌を、ここまで好いてもらえることがあるだろうか?

 それに、通っているミュージックスクール、ボイストレーナーさんの教育方針にしたって、フルコーラスを完璧に歌いこなすことを目標としている。録音のため、歌い直せることを前提としたレッスンではない。また、歌い方を褒められることはあっても、声を褒められたことは一切ない。

 どんなに些細なことでも褒められることは嬉しい。でも、声に限っては複雑な気持ちになる。歌唱力が声に負けてしまっているのか、声が綺麗なだけで他にコメントいただける点はないのかと。そして、綺麗な声を出し続けなければならないのかと。

 なので、声ではなくテクニック重視でいられる今の環境は私にとって幸いだとも言える。

 

 先月はとにかく調子が悪かった。歌声が元気ではなかった。

 私と同じオーディションでデビューしたみんなが、一周年記念をお祝いしたり、動画を投稿したり。私もそんなイベントをやったほうがいいのかと悩んだ。

 焦った。調子が狂った。やる気が出ない。落ち込んだ。

 それが、「プロじゃないんだし」という一言で救われた。

 どこか吹っ切れた。

 本当は責任なんてないのだ。プロじゃない。素人なんだ。

 だったらプロと素人の境界線はなんだろうと考えるところだけれど、一旦はストップ。

 きっと私は「プロなんだから」って歌いはしない。

 今だって「習っているんだから」って歌ってはいない。

 そのとき歌おうとしている曲のことだけ考えている。

 

 

 「誰かのために」歌うなんて、私にとって今はまだ蜃気楼のようなものだ。

「変わらないもの」

 歌みた5曲目になります。

 

youtu.be

 細田守監督作品の「時をかける少女」の劇中で使われている曲です。

 

 さて、いざ歌詞と向き合ってみると解釈が難しい。

 出会ったこと、恋をしたことは嬉しいことなのか、悲しいことなのか。映画のあらすじを知ってる、知らないでも変わってきますね。

 恋をすること自体はネガティブではないと私は思っているので、そこらへんは少し明るめで歌ったというか、実のところあまり深くは考えていません。当たって砕けました。

 そもそも、あまり調子が良くなかったというのもあります。

 まわりがどんどん歌みたをアップしていることに対する焦りもありました。焦りがあったので、一度はMIX師さんに音源をお渡ししたものの、やっぱり納得いかないと収録し直したり。

 

 前回の「春はゆく」は口腔共鳴気味で歌っているので、鼻腔共鳴で歌っている今回はだいぶ声が違うように聞こえると思います。

 テンポもゆったりしているので難易度は低いと思いますが、フレーズ毎の出だしの子音強調をしなければなりません。最初の「か(K)」がハッキリしているかしていないかだけで全体的な完成度に関わってくると思います。

 ――とにかく納得できなくてリテイクしました。

 シンプルだからこそ、技術じゃなくて素の表現力が試される曲だと思います。

 MIXは原曲通りでお願いしました。なので、ハモリやエフェクトもほぼありません。これが「ありのままの」ってやつです。

 

 こうして、改めて書き出してみると、実は難しい曲なんじゃないかと……

 どんなものでもこだわり始めると難しいものですね。

 

 ちなみに私は自宅録音です。特に吸音材とかも設置してません。

 マイクはダイナミック型で元々持ち歩き用として使っていた一万円以内で購入できるものです。

 二年以上、自室で歌唱練習してるのですが、最近になって防音とか気になり始めて……スタジオを借りるべきだよなあと悩み多き今日この頃です。