鬱映画として有名な本作。
私はあまり鬱にはならなかった。
「人生は終わり方だろうか」って、ヨルシカの歌の歌詞にあったような気がするのだが、私もそう思うわけで。
主人公セルマの人生の終わりはgoodなのか、badなのか、私には判断できない。
ただ、生前悪い出来事ばかりではなかったはずだと、彼女の歴史を思い返す。
今回、アマプラで見放題が始まった「ザリガニの鳴くところ」という映画を観て、私は「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を思い出したのだ。
ある資産家の青年が湿地で死んでいた。彼の死は事故か他殺か。
他殺として、一人の女性の存在が真っ先に浮かんだ。
”湿地の娘”
誰も彼女を本当の名前を口にしない。知らないからだ。
みんな彼女を知っているのに、彼女のことを何も知らない。
殺人容疑をかけられた彼女――カイアの裁判が始まり、私たちは彼女のすべてを知ることとなる。
本作はミステリー作品だ。
事件に至るまでの彼女の歴史から、実はあの人が殺したのではないか、いや事故ではないかととにかく推理させられた。
そう、この作品に探偵はいない。探偵は読者だ。
映画の終盤、おばあちゃんネタに弱い私は泣きそうになったのだが――
――涙の供給ストップ。
どんでん返しが起こった。
友人は「イヤミスだね!」と言っていた。
イヤミスとは、湊かなえ原作の「告白」などで有名な「いやーなかんじがする」、「後味スッキリしない」系のミステリーのことである。
そう、これはカイアの一生を描いただけの作品ではない。ミステリーなのだ。その点で言うと、事件に関する真実は映画を観ただけではわかりにくいところがある。
ただ、これで良かったのかどうかという疑問だけが残される。
悶々としたい人にオススメ。
湿地の美しい風景を楽しむだけでもいいかも。
――で、どこが「ザリガニ」だったのかなと。
ザリガニは一切出てこないです。(ザリガニ好きの方、ご注意ください)
ただセリフとして「ザリガニの鳴くところ」というワードは出てきます。それがこの事件の核心なのかなとも思った。
そしてもう一つ思ったこと。
多分、ここでいうザリガニはアメリカザリガニだと思うのですが、
鳴くんです?